マルセル・デュシャンと20世紀美術を駆け足で見てきた。
面白かったのは、入場してすぐにチェックシートなるものをわたされて、鑑賞作品について、僕らの意見をフィードバックさせるという試み。
チェックはデュシャンの作品とその影響でつくられた作品の比較によって行う。
たとえば有名なデュシャンの「泉」と、そのアプロプリエイションであるシェリー・レヴィンの「泉(金色に光る便器)」の比較、というように。
そうして評価した僕らのコメントやレーダーチャートが集計され、それ自体も公開されるという、まさにインスタレーションの概念を生み出したデュシャンの展示会にふさわしい試みで、けっこうワクワクしました。でも実際に作品に点数をつけていくのはなかなか難しい。
調査結果をすぐに公開する、という行為は、某ネット系リサーチ会社が得意とするところでもあるけど、こうした試みは、かなり一般化され、市民権を得ていますよね。まさに生活者総マーケッター現象といったところでしょうか。
そんなこんなで採点に悪戦苦闘していたら、隣に、ノーライフキングがいて、奥さんと一緒に熱心に鑑賞していた。休日の彼は、普通に地味だけどおしゃれな大人だった。
圧巻だったのは、デュシャンの代表作とされる、「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも」(通称「大ガラス」)。広い部屋に打ち立てられたガラス製の作品と、そのまわりを取り囲む、難解で哲学的な資料の数々。作品とそのバラバラにされた設計図を見て、遠き日の芸術家の試行錯誤を感じ不思議な気分になった。
高校の美術の授業で、デュシャンやダダイスムのアーティストの話を聞いて、生まれて初めて「アートってかっこいい!」と思った原体験を思い出し、ちょっとじーんときました。
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