美のアリバイ、衝動の行方

いやー、なんか
「アートってさ」つって、現代美術の話とか、したり顔で喋りだす建築学部出身の人とかっていやよねー、とか言いつつも、結局ポップアートとか写真展とかに興味をそそられてしまう自分もどうかと思う。

本当はよくわかってないのに、ついついみんなして、知ったようなこと(見当はずれなこと)を言いたくなってしまうのだ。

そんな時はぐっと言葉を飲み込んで、まずは芸術家が書いた本を読もう。


1.苔のむすまで 杉本博司

今も森美術館で開催中の「時間の終わり」
まだ行ってない人はとりあえず女房を質に入れてでも行った方がいいと思う。

で、僕がこの展示会で感動したのが、作品もさることながら、杉本氏の文章の巧さ。

コンセプチュアルな作品が多いので、それぞれの作品ごとに本人の解説が添えられているんだけど、その文章の美しいこと!
写真見る前に思わず「うーん、、、」とうなってしまいました。

と、いうことで、杉本氏の文章の美しさを実感したので、早速購入したのが、この本です。

・人にはどれだけの土地がいるか
・愛の起源
・不埒王の生涯
・骨の薫り
・塔の昔の話

などなど、目次のタイトルからしてそそられる。
とにかく芸術家の視点に触れられる貴重な一冊だと思います。

ちなみにこの本は美術館の書籍コーナーで買ったんだけど、隣には谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」がありました。この本は以前に国語教師を母にもつ女性にすすめられて購入したのですが、こちらの文章の日本語も激美しいのでおすすめです。


2.既にそこにあるもの 大竹伸朗

もう一冊は以前、僕が現実逃避を積極的に推奨していた時代にあるエントリーでご紹介した大竹伸朗氏のエッセイです。

本人はきわめてさらりと書いてるかんじなんだけど、その文章にはいちいち凄みがある。たとえばこんな調子。


僕は基本的に、道に落ちているものと壁の美しい場所が好きだ。拾ったものは15年前からノートブック、もしくは気に入った他人の本の上に貼り続けている。高価な本は客の見識により購入され、それなりに扱われるが、本に人間のような一生があるとしたら、道端に簡単に捨てられたり、茶碗の包み紙になって海を渡ったりする雑誌の方が、存在としてははるかに興味深い。僕は外国を歩いていて、道端に無造作にうち捨てられた雑誌の束に出会うとき、ものをつくるエネルギーを得ることが多い。

あるいはこうです。

男四十にでもなれば、もう少し一日の終わりに”充実”というやつの片鱗でも頭上30センチあたりにポッカリあらわれるものかと思っていたが、今、漠然と自分自身のことでわかっていることと言えば、どうやら自分は何かを何かの上に貼ったり塗ったりするのがすごく好きらしいといったことぐらいで、充実どころか今日もまた、”届かなかったもどかしきやるせなさ”で一日が過ぎていく。


こういった文章の欠片を読んだり、あるいは最近でたばかりのBabyshamblesの1stアルバムから『Fuck forever』を聴いたりしていると、一流芸術家のクリエイティビティがいかに衝動的であるかをあらためて知ることになる。結局のところ「確信」なんていらないんだよな。

そう、くしくも前のエントリーで引用してる大竹氏の言葉を借りるなら、「一杯のコーヒーを飲んでからでは、すべてはオジャンなのだ」ってことだ。

だから、あんまりいろんなことを考えたりする前に、とりあえず僕もシャッターをきってみようと思いました。(最近購入したデジカメの話)

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Comments [4]

No.1

杉本博司の文章よかったね。ふと日本語で書いてるのか、英語で書いてるのか、両方読んでみたんだけどいまいちよくわからなかった。どっちだと思う?やっぱ日本語でしょうか。

No.2

たしかに!言われてみればすごく英語的でしたね!
昔の村上春樹みたいなことをやってるんでしょうか・・・。

『苔のむすまで』の文章はバリバリ日本語で、
作品解説の文体とは異なりますが、
こっちもなかなか良いですよ。

No.3

なるほど。年明けにもう一度見に行く予定なので、そのときにじっくり確認してきます。

No.4

僕もまた行こうと思ってます。

なにげにMAMCのフレンド会員なのですよ。

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