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『毎日の環境学』によせる期待

  • 2006年2月 9日 02:08
  • 音楽

いよいよ、
3月8日発売の小沢健二のニューアルバムの情報が、徐々に開示されはじめた。


Ecology of Everyday Life 毎日の環境学

 1.The River あの川
 2.Voices From Wilderness 未墾の地よりの声
 3.Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学
 4.Jetset Junta 空飛ぶ政府
 5.The Sea(I Can Hear Her Breathing) あの海(彼女の息吹が聞こえる)
 6.Sol Le Pido A Dios 祈ることは
 7.Shadow Work 影にある仕事
 8.Sleepers Awake /Mathrimba 眠れる人、目覚めよ/マトゥリンバ


全曲インストゥルメンタル、だそうだ。
皆はこれをかっこつけだとか、ねらいすぎだと笑うだろうか。

僕はまったくそう思わない。

小沢健二ほど切実に、不器用に音楽と向き合っている日本人ミュージシャンはいないのだから。

彼がやろうとしていることは1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」の頃から一貫している。

それはこの世知辛い世の中における「本当のこと」探しであり、世界がマジに「裏返って」しまわないための、必死の抵抗行為なのである。


たとえば論理学者のレイモンド・スマリヤンは、悲観主義を「必然的」と「偶然的」とに分けて、次のように定義している。

必然的悲観主義とは、可能な限りの最も恵まれた環境においてさえ、人生は苦しいものでなければならないとする主張であり、偶然的悲観主義とは、人生はたしかに苦しいものではあるが、そうでなければならない理由はないとする主張である。つまり、偶然的悲観主義とは、この世界はまったくひどい(しかもそのままであり続けようとする)のだが、それが論理的な必然性にもとづくものではないと考えるわけである。必然的悲観主義が、人生にまったく希望をあたえないのに対して、偶然的悲観主義は、非常にはかないものではあるが、少なくとも希望の余地は残している。ここで注意しておきたいことは、たった一つでも幸福な人生が存在するならば、必然的悲観主義は簡単に反証されるが、偶然的悲観主義が反証されることにはならない点である。

『哲学ファンタジー』 レイモンド・スマリヤン/高橋昌一郎訳


だから、本当に希望がなく救いがないのは偶然的悲観主義の方だ。そしておそらく小沢健二が音楽で重ねているのは、この偶然的悲観主義を反証するための証言集づくり(=真実の瞬間の集積)なんじゃないかと、僕は思うのだ。

同じことは、また小説でも語られているはずである。

渋谷界隈ではすっかり話題沸騰の『うさぎ!』第2話において、
小沢健二はいよいよ明確に、資本主義とマスメディアと広告ビジネスとこの国の政府が、
いかにしてやすやすと大切なものを損なってきたか、ということを静かに、しかし力強く語り始めた。
それも中学生でもわかるような話法で。

彼が『天使たちのシーン』で歌ったようなはかなく切ない光景は本当に大切に扱われなければいけないと思う。損なわれるべきじゃないと思う。


小沢健二は、今の日本で最も知力があり、そして最も不器用に、セカイと戦おうとしている、たった一人の音楽家なのだ。


だから彼がソロデビューしたときに、仲違いしてしまった小山田君が初めてソロライブを見たときのコメント「なんだか尾崎豊のライブを見てるみたいだった」は、ジョークとはいえ、まんざら的外れじゃなかったのだ。やっぱり小山田君は小沢健二を深く理解していたのだと思う。

本当にその真摯なスタンスにはいつも勇気づけられてばかりだ。

Comments:2

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suzie 2006年2月 9日 14:10

全曲インストゥルメンタル〜!?
なんじゃそりゃ〜!?

『流れ星ビバップ』派の私としては、
音がまったく想像できない……。

とりあえず買ってみるとは思いますが。

kajken 2006年2月10日 17:12

>suzieさん

我ら社内でたった3人の『流れ星ビバップ』派としては、
歌詞のないオザワなんてってのはありますよね。

でも、僕は何かしら世の中に対する示唆を含んでいることを期待してます。

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