小沢健二の対峙する世界

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東京に居たら、
きっと参加していただろうなぁ。

小沢健二がエリザベス・コール氏とともに行なった映画ツアーが
各方面で賛否両論なようで。


久しぶりに公の場に姿を現した小沢健二。

僕の記憶している限りでは、
前々作『Eclectic』発売時にぴあのインタビューに答えて以来だ。

前作でインストアルバム『毎日の環境学』と
その歌詞である、ものがたり『うさぎ』を携えて復活した際には
まったくメディア露出をしなかったが、
今回の映画や、それに至る一連の思想の全貌が明らかになるにつれ、
彼が「灰色」と呼んでいる既存の社会システムにはもはや乗りたくないという
姿勢の表れなのだということが分かってきた。

僕は今回の映画ツアー、
「『おばさんたちが案内する未来の世界』を見る集い」に参加していないので、
作品の内容や上映会の出来映えについて意見を言える立場ではないのだが、
ネット上、ブログ上、あるいはmixiコミュニティ上で展開されている
「小沢くんには失望しました!」だとか
「やっぱりただの世間知らずの王子様キャラでした!」みたいな
批判的な論調にあまりにうんざりしたので、
あえてここで、勝手に言わせてもらう。

スイーツ(笑)ども黙れ!

彼ら(彼女ら)の意見は、
「Lifeの頃のオザケンからあまりに変わってしまっていてびっくりした」とか
「今回の集いの宗教的な雰囲気にひいてしまいました」とかそんな感じ。

もうね、バカかと。
東池袋で同人誌でも買って読んでろと。

これまでにも、小沢健二が本気で表現をした時、
その作品は常に宗教性を帯びていたし、
キャリアの中でこれまでに大きな進化が幾度となくあったのに、
そこから目を逸らして、自分自身に都合がいい偶像を求める人たち。

自分にとって居心地がいい場所で、
自分の期待を裏切らない作品だけを求める思考停止状態。

大阪府知事が誰になろうと知ったこっちゃないが、
こと小沢健二に関する非難や誤解とあっては、
一言申さずにはいられないのさ!(←あえて)

本当のこと隠したくて 嘘をついた
でまかせ並べた やけくその引用句なんて!
いつものこと 気にしないで

恋とマシンガン/ザ・フリッパーズ・ギター


ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり

ドルフィン・ソング/ザ・フリッパーズ・ギター


星座から遠く離れていって景色が変わらなくなるなら、
ねぇ、本当はなんか本当があるはず

天気読み/小沢健二


フリッパーズ→犬までに探し続けていた「本当のこと」に、
ついに「Life」で到達した小沢健二が、
その絶頂にいるさなか(=一番幸せな時期)にでさえ、
この瞬間がいつかは消えてしまうということを知っており、
知っていながら、それでも幸せなフリをし続けた、ということに、
僕は今更ながらに感動せざるを得ない。


左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる

僕は思う この瞬間は続くと いつまでも


本当は分かってる二度と戻らない美しい日々にいると
そして心は静かに離れていくと

さよならなんて云えないよ/小沢健二


僕たちが居た場所は 遠い遠い光の彼方に
そしていつか全ては優しさの中に消えてゆくんだね

目に見える全てが優しさと はるかな君に伝えて

流れ星ビバップ/小沢健二

Lifeがただの人生賛歌ではなく、
その幸せがいつかは終わってしまうことに気づいているからこそ切なく響くのだ、
ということに気づかない限り、
その後の小沢健二を捉えるのは難しい。

真っ黄色に 咲いた夏のヒマワリ
群青色に 暮れかけた夕暮れに
美しい形 美しい響き
何だか心が 哀しくなるね
誰かの愛を知ったら 分かるようになったブルース

大人になれば/小沢健二


幸せなときは不思議な力に守られてるとも気づかずに
けどもう一回と願うならばそれは複雑なあやとりのようで

恋しくて/小沢健二


新しい愛 新しい灯り
麻薬みたいに酔わせてくれる痛みをとき
連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光
ある光/小沢健二

やはり人生最高の瞬間は終わり、哀しみの漂う日常が続く中で、
新しい世界を目指して、いま居る「オザケン」的立場から飛び降りること、
たとえそれが新しい光を見いだせる確証はなくとも、
やみくもに信じて歩を進めることを宣言した「ある光」に込められた決意。

この線路を降りたら虹を架けるような
誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさてめしまわずに

ある光/小沢健二

前に進むことを選んだ彼に、
どれほど勇気づけられたことか。

そして彼は「Eclectic」で新たな世界を知り、
今、およそ熱効率の悪い手段を用いて、
メディアに背を向けて、静かに動き始めている。

この消費肥大国家日本において、ポップスターから転身して、
地道に自分の成すべきことに殉ずるという離れ業が、
いったい彼以外の誰にできよう?

小沢健二は、本当に希有で誠実で偉大な芸術家だと思う。
そして彼から学ぶべきは、その思想ではなく、世界と対峙する姿勢である。

作品の善し悪しや好みで判断するのは、もちろん個人の自由だけど、
そのあまりに浅はかな意見がひとつの世論を形成していることに、
ちょっとばかし異を唱えたくなった次第だ。

てなわけで、
小沢健二の活動が果たしてこの世界を変え得るのか、
またそこから僕たちは何を得て、どう変わるべきなのか、
本気で考えていかなきゃいけないんじゃないかと思いましたとさ。



ある光/小沢健二


追記:『毎日の環境学』発表時にも俺、似たようなエントリーしてた。
   オザケンのこととなるとつい熱くなるのであった・・・。

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Comment [1]

No.1

すごい。
たくさんの小沢おばさん検索しました。
見えてますね。
霊能者ですか?
スイーツでも反感でもなく。

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