神様を信じる強さを僕に。 *『プレイバック』

私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする小説は、
実は意外に多くなくて、全部で10作品にも満たない。

そして未完に終わった『プードル・スプリングス物語』を数えなければ、
この『プレイバック』が、遺作ということになる。


物語は、突然依頼主の秘書である女性がやって来るところから始まる。
このシーンがとりわけ印象深い。

すこぶる魅力のある娘だった。白ベルトのレインコート、帽子はかぶらず、手入れのゆきとどいたプラチナ・ブロンドの髪、レインコートとマッチした雨靴、折りたたみ式のプラスティックのかさ。そして、ブルー・グレイの瞳が私が何か下品なことでもしゃべったように私を見つめていた。私は手を貸して、レインコートを脱がせた。すばらしくよいにおいが鼻をうった。 <中略> 「クリスチアン・ディオールですわ」と、彼女は私の心のなかを読みながらいった。 「ほかのものは絶対に身につけないんです」 プレイバック 清水俊二訳

全身ディオールでセクシーなミス・ヴァーミリアに促されるままに、
マーロウは一人の女性を尾行することになる。

彼女の名はエレナー・キング。訳あってベティと名乗っている。

ベティを追って、ロスからサンタ・アナ、オーシャン・サイドそしてデルマーを経由して
サンディエゴへと向かう列車に飛び乗ることになったマーロウ。
舞台をラホヤに移し、マーロウが尾行を続けるうちに、
奇妙な殺人現場に出くわす事になった・・・。

てな感じでいつものように探偵は事件に巻き込まれていくのだが、
この小説は、これまでの同シリーズとはいささか毛色が異なる

前述のミス・ヴァーミリアをはじめとして、
魅力的な女性が次々とでてくるのだが、
マーロウは割と簡単に彼女たちとセックスするのだ。

『長いお別れ』のレノックスや、『さらば愛しき人よ』の大鹿マロイのような、
悲しみに満ちた友人たちは登場しない。

煤けた友人とクールに心を通わせる替わりに、
今回のマーロウは、セクシーギャルズとお楽しみなのである。

私はペイパーバックの本をくずかごに投げ捨てた。それから、一緒に寝るには2種類の女がいるということについて考えた。

仕事中にも関わらず、この余裕。まさにジゴロ探偵!

マーロウ自身が、すごいがんばる訳でもなく事態は淡々と進行していく。

この小説は事件そのものよりも、どちらかというとシーンの細部に見所がある。

もうひとつ印象的だったのは、
中盤にマーロウが老人と会話をするシーンがあって、
そこで老人がマーロウに対して独自の運命論を展開する。

彼は世の中の複雑さを引きながら、
万能であるはずの神がつくったのが運命ならば、
なぜこんなにも世の中には不平等や不幸が多いのか--と嘆く。

ここで、老人は神の存在は否定せず、
しかしその万能性を否定する事で、
「運命が内包する計算不可能性」について言及していく。


神さまはどんなにかんたんにもつくれたはずなのに、なぜこんなに複雑につくったのだろう。神は万能なのだろうか。万能と言えるだろうか。世の中には苦しみが多く、しかも、多くの場合、なにも罪のないものが苦しんでいる。
<中略>
君は神を信じているかね。
<中略>
だが、信じるべきだよ、マーロウ君。心がやすらかになる。
<中略>
失敗の可能性がないところに成功はない。創作過程に抵抗がないところに芸術はない。世の中のすべてのことがうまくゆかないのは神の手ぎわがよくなかった日にぶつかったからで、そして、神の一日ははかりしれぬほど長いのだといっては、神を穢すことになるだろうか。


これはまさしく晩年のチャンドラー自身が考えていた運命に対するスタンスなんだろうね。

死が近づいていることを悟って、
受け入れる準備をしつつあったのかもしれない。

そりゃ死がちかいような気がしたら、
おいそれと神様の存在を否定することなんてできないよな。

だけど、神様も全能じゃないぜっていうあたりに、
死の気配を感じつつありながらも、
それと折り合いを付けようとする作者の葛藤が見えるようで面白かった。

プレイバック (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-3))

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