家事って苦手ですよ。
そもそも自分が家事してるって意識した事がない。
たまに部屋を掃除してみる。
クイックルワイパーで床を拭く。
あるいは、洗濯をする。
大事なものはドライで回して、
エマール入れて、ちゃんと襟や袖口を叩いてから干す。
それぐらいは僕にだってできる。
でもそういうのが家事だって思った事はない。
それを家事だなどというのはおこがましいってもんだ。
だってそれは家事という名の戦場の最前線をはっている
プロフェッショナル主婦の方々から見たら、
「ぜんっぜん甘い!」と一喝、後方から即撃たれても文句は言えないような
レベルでしかないのだ。
だから家事という名の戦場の----ていうかまあ、家事ね・・・
から遠ざかってきた僕なんかは、これまでただ漫然と生きて来た訳だ。
がしかし、僕は奮起した。
いまは単なる不甲斐ない人間ではあるが、
このまま家事をやらないと、本物のダメ人間になると。
そして購入した本がある。
それがこれだ。
男の家事 (ORANGE PAGE BOOKS 男子厨房に入る別冊)
どうだろう、この表紙。
はっきり言って、噴飯もの。
主婦でなくとも、
飲んでいたジャック・ダニエルをブーッと吐き出しちゃうに違いない。
まず、そもそも、
革靴を丁寧に手入れするのって、家事じゃないよね。
この臨場感あふれる、非常にノーブルな表紙写真は、ただそれだけで、
まさしく「男の家事」という言葉の持つ宿命的なパラドックスを
表現しきっているとは言えまいか。
内容も大したものだ。
革靴の手入れから始まって、グラスを磨く、ダウンジャケットを洗う、
網戸を洗う、蛇口を磨くなどなど、、、
「それ、家事じゃねーよ」と良識ある婦女子からは失笑されるであろう、
まさしく「男の家事」としかいいようのない項目群。
だが、そこに我々男子が逆転の可能性を感じてしまうのも、
また事実なのだ。
日々の細やかな家事をこなす、全国5000万世帯の主婦たちに、
敬意を表しつつも、僕たちは自分にできることをただやるのみ。
その心意気を買ってもいいじゃないか。
果たしてこれらを極めたところに、いったい何が見えるのか。
もしそれが誰かの笑顔なら、
たとえそこに幾ばくかの失笑のニュアンスを孕んでいたとしても、
この本を買った甲斐があるというものだ。
Comments [3]
No.1mayuさん
「エマール+ドライ+襟袖たたく」ができる人は、掃除も食器洗いも信用できます。
マユ基準では「安心して家事を任せられる」というレベルに達してますね。
(なんだ、この「マユ基準」って・・・w)
主婦には自分の「家事哲学」のようなものがあるので、
男の家事について、「やってくれて有難いけど・・・ちょっとそのやり方はねぇ・・・^^;」
と内心思われているケースも、世の中多いと思います。
が、そんな事情を差し引いても、kajkenは合格のような気がしますww
加えて、「男の家事・逆転可能説」を支持しますw
なんせ主婦にとっては「そこまで手が回らんわい」「いつかはやらなきゃ・・・」という領域でありますし、
また、事前にわざわざ約束せず、陰で黙々とこなしてくれれば
主婦にとって「思いがけない喜び/お得感」にもつながります。
・・・っていうか、そもそもナゼに
「このまま家事をやらないと、本物のダメ人間になる」なんて
思ったのか?の方が気になります。
No.2kajkenさん
>mayuさん
「このまま家事をやらないと、本物のダメ人間になる」なんて
思ったのか?
ひとえに坂口安吾を読んだからです。
「人間は生き、人間は堕ちるのです」なんて。
家事は苦手ですが、
掃除などのノウハウを知っておきたいという欲求が
どうもあるようです。
No.3mayuさん
ということは「堕落論」ですか。
・・・マユも久しぶりに読み返してみよっかなー、と本棚を確認するも、
きっと誰かに貸したまんまで、見あたらない。
「白痴」はあるのですが・・・とほ。
ところで、その「知っておきたい欲求」って、面白い。
家事に対して、何がしかの引っかかりがあるんでしょうかね。
家事を自分でやっていて、時折、
「数学だな」と思うことがあります。
鍋に入れる具材や調味料を入れる順番とか
洗濯物の干し方とか、
もっと広義では、「1日における、家事に費やす時間の使い方」とか。
確かに「人生における普遍」みたいなものが
家事の中に眠っている気がします(←大げさかな?)
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