村上春樹の最新小説を、発売と同時に日本語で読める僕たちは本当に恵まれている。
日曜日の朝、BOOK2の残りの半分を一気に読んで、
胸が熱くなった。
思いついたことをただ書いてるっていう感想レベルで、大したネタバレでもないけど、
できれば以下は本を読み終わってから読んでください。
* * * * * *
この小説で作者は、これまでのどんな著作よりも、
具体的かつ、直接的な表現をしている。
今までの著作であれば、たとえそれが「愛」だとしても、
「それは愛だった」という風に書く作家ではなかった。
もっと印象やニュアンスで伝えようとしていた。
いや、そういった漠然としたニュアンスによって不特定多数の共感を得ることに
長けた人であったからこそ、村上春樹は圧倒的な人気作家になったのだ。
それが今回の「1Q84」においては、
物語の主題や、あるいは彼が憎んでいる敵を、
はっきりと、明確に定義していることに、まず非常に驚いた。
つまりそれはこれまでなんとなくの「思わせぶり」で、
解釈を読者に委ねていた部分を極力なくし、
「これはつまりこういう意味」ってのを、はっきり言っちゃってるってことだ。
それは言うまでもなく、芸術作品としては、ともすれば陳腐である。
実際、今回の作品では、ちょっと書きすぎている部分があると思う。
(このBOOK1、2の中でも、かなりバランスの悪い箇所がある)
しかし、
たとえそうなったとしても、そっちを選んだのだ。
彼ほどの文章家が、
バランスが悪いながらも、自身の価値観とプライオリティを提示しつくす方を選んだというのは、
いったいどういうことか?
村上春樹は、完璧な文章を書くことを脇においてまで、
今回の小説の主題になっている「本当のこと」を
「より誤解されずにメッセージできるやり方」にしたってことだ。
僕の記憶が確かであれば、
「この人生において、誰か一人の人を真剣に愛するということ以上に大切なことを、僕はちょっと思いつけません」
というようなことを、村上春樹は以前にあるエッセイでさらりと書いていた。
あるいは最近のエルサレム賞受賞時のスピーチ。
「私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです」
この様な超正論を真っ向から語っていくという役割を、
あのかつて社会に対してスーパークールだった人が、引き受けているのだ。
村上春樹は、この世を少しでも良い方向に向かわせるために、
この残りの作家人生をつかうことを選んだ。
(彼にとっての作家人生とは、本人が公言しているとおり長編小説のことだ)
僕は日本の高校1年生は、現国の時間に一年間かけて、
この小説を深く読解してみれば良いと思う。
この小説が良いという人が50人いれば、
まったく好きじゃないという人も50人いるかもしれない。
でも、まったく好きじゃないと思った50人も、
テレビを見る時間を減らして、
少なくとも1度は読むべき物語だ。
この小説を読むという体験の方が、
若いときからMBAだかなにかを目指すことよりも、
もっともっと大事だってことはきっと間違いない。
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