夏と書籍 -- 高橋洋二と森下賢一と江藤淳とカポーティ

ごぶさたしてます。
残暑お見舞い申し上げます。

いやー、すっかり夏の盛りにblogを書かぬままに過ぎてしまいました。

と、いうのも、Twitterがラクチンで、
ちょこちょことそっちにかまけていたせいでもあります。

1年前に登録した時には、何が面白いのかまるで分からなかったけど、
今年に入ってから急に人が増えてきて、楽しくなりました。
今はすっかり手軽な情報メディアのひとつとして利用しています。

Kajken on twitter

ま、フジロック(いわゆる音楽素人を連れて行くフェス問題)とか、
S&Gのドーム公演(いわゆる60's音楽と親孝行問題)とか、
マイケル・ジャクソン追悼会(いわゆるいちファンとして正しい追悼の在り方問題)とか、
ここに書きたいことは色々あったんだけど、
なんか過ぎちゃった感あるので、最近読んだ本の話でも。


* * * * * * * * *


オールバックの放送作家----その生活と意見

タモリ倶楽部やTBSラジオJUNK、その他爆笑問題関連の放送作家をしている
高橋洋二氏のエッセイ&生活記録&意見集。

すっごく面白い。
行動様式は何か自分に近いものを感じる。
と、いっても高橋さんとは一回り以上歳が離れているけど。

表紙の和田誠、出版社が国書刊行会であること。(本としてのナリの良さ)
そして対談の渡辺鐘、爆笑問題、寄稿が宮崎吐夢、というわかっている人選。

ナンシー関が亡くなった際のメディア報道への違和感とか、
「娯楽メディアとしてのテレビ」に対する正しい視座。
つまり「テレビはつまらなくなった」で片付けてしまわず、かといって見てみぬ振りもせず、
テレビ側として誠実な立ち位置や、地道な戦術を模索する現場人らしさを、
非常に頼もしく、また興味深く読みました。

勝手なこと言えば、Suzieさんの合わせ鏡、、、みたいな人だな。
年齢やプロ野球好き度合いも含めて。


いい酒と出会う本--大人の教養としての世界の酒&酒場案内

塾高の時分から足しげく通っていた、新宿3丁目のブルーズバーが閉店、
そして改装ということになったのが、この夏のはじめのことだった。

壁にでっかいライトニン ホプキンスの肖像が描かれている、それはそれはいかしたバーで、
当時仲良くしていた女子大生の英語の先生に連れて行ってもらった、
という思い出も込みで名店だったのだが、
改装後、内装はぱっとしないパスタ屋風、
業態は平均年齢高めのガールズ・バーという誰得な店になってしまった。

7月にその頃からの友人と一度だけ訪れ、
一切の跡形も無さにはガッカリしたもので、それ以来新宿3丁目の根城探しは続いている。

で、そんなこともあって図書館でふと手に取ったのが、この本。
前書きにある「今は良い酒の飲み方を教えてくれる社会の先輩がない」という主張に、
なんとなく共感。

たしかにところ構わずビールで乾杯したり、
ワインの栓をラベルを見ずに開けて飲み干すのは、瞬間的に楽しい飲み方ではあるけど、
それはトランプでいつもババ抜きとダウトばかりをやっているような、局地戦に繋がっている。

その形式を否定するものではないけど、
どうせなら「バトルフィールド:→無限」を選びたい。

かつて、オキシローの本
乱読していたのは、ちょうど酒を知った頃、件のブルーズバーに通い始めたころだった。
酒や、それにまつわるうんちく、あるいはバーのシーンが出てくる小説についての文章を
読むのは、ただのエッセイとは違うエスケープ感があって心地よい。
浮遊力込みで「機内誌感」とでもいいますか。

某雑誌に連載中の奥祐介氏の酒と東京エッセイも刊行が待たれます。

いずれにせよ、今夜はどんな酒と飲もうかと、夕刻から考え始めるのは、
実に夏の宵らしい楽しい悩みである。


批評と私

最新のen-taxi巻頭特集が「批評家 江藤淳」で興味を持ち、その流れで手に取った一冊。
江藤淳の本をちゃんと読んだのは初めてです。

文壇の徒党を一刀両断する「ユダの季節」、
批評ではないが、故小林秀雄についての弔辞のような「小林秀雄と私」、
圧倒的な文章の切れ、凄まじい言葉選び。
ああ、これが江藤淳なんだ、とつくづく思い知らされた。

批評を書くとか、文章を売る、ということ以前に、
人間と向き合って生きる姿勢みたいなものに大変感銘を受けた。

文章が思ったより平易で読みやすかった。
江藤淳エントリーには、この本が良いのかも。

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

夏休みには不思議と名作を読みたくなるもの。

それはきっと小学校の頃の読書感想文が生んだ功罪の「巧」の部分だ。

なんて単に今、矢来町付近に住んでるせいかも。
あの角を曲がると突如現出する、YONDAパンダのサブリミナル状態か。

『ティファニーで朝食を』は竜口 直太郎訳を持っていることもあって、
村上春樹訳をスルーしていた。(装丁がかわいかったので、人にはあげた)
今回、図書館でふと目にとまって借りて読んでみて、ぜんぜん印象が違うことに感動。

それは僕がかつて読んだ頃よりも、アメリカ文学を沢山読んだせいかもしれないし、
映画「カポーティ」のP.S.ホフマンの顔がちらつくせいかもしれないし、
多少の恋愛経験や人生経験を蓄えたからかもしれない。

結局のところ、村上春樹の翻訳がうまいのか、下手なのかというのは、まったく問題じゃなくて、
当代一流の小説家が翻訳作業をしているという幸運を、僕らは素直に享受すべきなのだ。

昔の小説家って、本当に熱心に英米文学を翻訳をしていたみたいだけど、
00年代にあって、大作を次々に新訳している小説家って春樹さんだけだ。

あらためて、ホリー・ゴライトリーの魅力的なキャラクターには、正直100%恋をしたし、
パーティの狂騒がひいて、ざわめきの響きだけが浮かぶ部屋に取り残されたような、
悲しみと澄んだ空気に満ちたラストに胸が痛くなった。

ティファニーカラーの単行本の装丁も素晴らしいけど、
お求めやすくなった文庫版の表紙も、なんとも言えず好きだ。


夏休みに読んだ本、まだ沢山あるけど、他に面白かったのは、
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
女子と鉄道 (光文社文庫)
「集団主義」という錯覚--日本人論の思い違いとその由来

あたり。

映画だと圧倒的に『サマーウォーズ』。

そんなこんなで夏休みは、グラスの中で溶けゆく氷の如く、ゆっくり終わりに近づいていくのだった。

Track Back

Track Back URL

Comments [2]

No.1

こんにちは。

「わたしを離さないで」に反応してしまいました。
冗談抜きで、英語の原著含め20回以上は読んだもので・・・

変なたとえですが
永遠に皮をむき続けられるりんごのような小説、だと思っています。

本当に些細な会話、あるいは単語や言い回しから
無限にその人物の想いを感じ続けることができる、そんな感じです。

ちなみに
たいへん絶望的な物語なのに
どこかが温まった感じがするなあ、と思っていたのですが
↓日本語訳出版直後のカズオ・イシグロのインタビュー記事を読んで、何となく納得しました。。

http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/kazuoishiguro.html
(未読でしたらぜひご覧ください。)

No.2

satoさん

こんにちは。

>永遠に皮をむき続けられるりんごのような小説
なるほど!面白い変なたとえですね。

たしかに物語の展開のゆるやかさの中に通低する緊張感みたいなものが、
使い慣れたナイフさばきを彷彿とさせる、というか。

インタビュー記事、未読でした。
さっそく読んでみます。

ありがとうございます。

コメントする

※ コメントは認証されるまで公開されません。ご了承くださいませ。

公開されません

(いくつかのHTMLタグ(a, strong, ul, ol, liなど)が使えます)

このページの上部へ

プロフィール

The Great Escape by kajken

サイト内検索

最近のピクチャ

最近のコメント

Powered by Movable Type 5.14-ja