僕にとって、この人の本が出たらとりあえず買うっていう作家は、
まあ数えるほどしかいないけど、中山康樹氏の本はかなりの確率で出た瞬間に買っている。
「ディランを聴け!」「クワタを聴け!」等、全曲紹介本ですっかり有名になった氏だが、
今回は半自伝的エッセイ。
そういえば、中山氏本人について書かれた本を読むのは、実は初めてかも。
この本を読むと、大阪に育ち、ロックからジャズに傾倒し、
スイングジャーナル編集長を経て、
音楽評論家的なものになった氏が、
どのような変遷をたどり、今のポジションを形成したのか、
その一端をうかがうことができる。
この人はずっと音楽と向き合ってきた人だ。
決して洒脱な文章家でもないし、ミュージシャンとの親交が深いわけでもない。
それでも自分できちんと音楽を聴き込み、咀嚼し、感覚を言葉に置き換えることをし続けてきた。
僕は、いつも思うのだが、
音楽と真剣に向き合った経験がある人生と無い人生が世の中にはあって、
その2つはどちらが上、どちらが下なんて、比べられるわけもないんだけど、
思春期のある時期に、スピーカーから流れる音に耳をすませたり、
歌詞カードから少しでも多くのことばを読み取ろうとした経験は、
「音楽から何かを学ぶことができる」ことを知るってことなんだろう。
いや、結果的に「学ぶ」のであって、こちらから「学ぼう」とするわけではない。
そこに何か「答え」があるような気がして、
僕たちはそこに、ただ首を突っ込んでキョロキョロしてるだけだ。
僕が面白いと思ったのは、
中山氏がジャズよりも先に「スイングジャーナル」誌をという雑誌に魅せられたというエピソードだ。
普通に考えればまずジャズが好きで、もっとよく知るために専門誌を買うという流れだ。
でも彼の場合、「ここには何か自分の知らない、かっこいいものがありそうだ」とただ闇雲に信じて、
聴いたこともないジャズ専門誌の「スイングジャーナル」を買っているのだ。
僕はこの行動にすごく思い当たるふしがある。
「その音楽を良いと思う意識」には、強い共感力があって、
自分の好きな音楽についての良さや気づきを誰かと共有することは、
素晴らしい音楽を聴くのと同じくらい素敵なことだ。
もし音楽を通じて共感することを取り上げられたら、
いったい僕たちはどうやって人と繋がれるだろう?
そんなこんなで中山康樹氏の本を読んでまず一番に聴きたくなったのは、
Beach Boysのペットサウンズだった。
久しぶりにペットサウンズを聴いて、
『I know there's an answer』の、
最後のタンバリンの音の響きが微妙に変化することに気づいた。
僕はこの話を誰かにしたいと思った。
こんな話が出来る相手は、最近とても少なくなってしまったのだけど。