ヘイルシャムの庭から池尻大橋の指先へ ――映画「わたしを離さないで」の感想

今年は会社が積極的に海外事業を拡張しているせいもあって、
出張の機会がやたらと多いのですが、
その恩恵を受けて国際線で映画ばかり観ています。

小さなスクリーンで観る映画は、物足りないっちゃないんだけど、
それでもまとまった時間が持てて、最新作を観れるということは、
この前のめりがちな生活の中で、悪くない息抜きになります。


と、いうわけで、
今回は映画化のニュースを聞いた時から心待ちにしていた、
カズオ・イシグロ著、現代文学の最高峰にしてマスターピース、
「わたしを離さないで」を観ました。


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この「わたしを離さないで」という小説は、
文芸好きにとってはほとんど避けて通ることができない
現代アメリカ文学屈指の金字塔的作品で、とりわけ日本でも、
村上春樹が褒める数少ない作家(というか名指しで褒めているほとんど唯一の同世代作家)
であるカズオ・イシグロの代表作として高い人気を誇っています。

この本を100回くらい読んだというヤツが後輩に居ますが、
(僕も流石にそりゃどうかと思うけど)
少なくとも下らない本を100冊読むよりは価値のある行為だと思います。
「ノルウェイの森」の永沢さんじゃないけど、
「『わたしを離さないで』を100回読んだやつなら、俺と友達になれるな」てな感じです。


で、物語ですが、
「ヘイルシャム」というある寄宿舎で生活を共にする男女の心の動きを
そこで育った女性の回想形式で丹念に描写しながら、
存在自体が謎を孕んでいる「ヘイルシャム」の設立目的と存在意義、
そしてそこで繰り広げられる主人公たちの青春時代を、
これ以上無いほどの透明感と、涙が蒸発するほどの絶望感で包んだお話です。


映画自体日本公開前なので、
ストーリーを知りたくない人は、ここから先を読まないようにしてください。
てか、こっからガチで小説のネタバレになっちゃうよー。

ま、ストーリーを知ってから読んだとしても、
この本の魅力はまったく欠けないと思いますが。


**


***

ヘイルシャムで生活している生徒たちはいわゆる○○人間な訳です。
彼らは「素材」として大人になるまで育てられている、
そして成人した後に数度の「提供」を経て、
「終了」してしまう運命を背負っています。

つまり最初から運命(=死に方)が与えられている彼らに「青春」が存在するのか、
というのがこの物語の根本的な命題です。

しかしその彼らが持つきわめて純粋な魂、
そこにもしも「愛」が生まれているとしたら、
それは果たして我々が「愛」と呼んでいるものと同じなのか?

そもそも我々が「愛」と呼んでいるものを「愛」たらしめているのは
いったい何なのか?ということを、物語は静かに、力強く問います。

まあ、この小説、読後の遣る瀬なさ/切なさはマジで得難いので、
「その感覚が一体どこまで再現できているのか」というのが
映画を観る上での一番のポイント。

あとやはり、
「「ヘイルシャム」というきわめて夢幻的な世界をどれほど具現化しているのか」という点。

この2点を中心に観ていくことになります。


まず俳優、とりわけ主人公のキャシーを演じたキャリー・マリガンはとても良かった。
なんと言っても彼女がとっても賢そうに見える。

決して台詞が多い役ではない彼女の喋る時の間のとり方、
あるいは「問いかけに対して台詞を発さないときにたたえる表情」を
通じて表現する感情が映画的に重要な役割を担っていると感じました。

そして物語の主人公かつ、狂言まわしとしての性質上、
彼女は常に俯瞰した視点を持つことになるのですが、
小説で言えば地の文で表現しているところを、
抑制された演技とナレーションを通じて示すことが出来ていたと思います。

少なくとも原作を読んでいない人でも、
ストーリーが解らなくなるということのない親切なつくりだと思いました。

彼女が感情を決して表に出さない点が、
局面、局面において運命を静かに受け入れる悲しみを増幅させます。

対称的に、キャシーと想いを通わせるトミー(アンドリュー・ガーフィルド)は、
受け入れるべき理不尽な運命についてのやり切れなさを時おり発露させるのですが、
その叫びにはどこかリアリティがありません。

この奇妙に平坦な咆哮は、
「哀しいこと」や「嬉しいこと」を表現しきれないコミュニケーション不全と、
彼らの持つ宿命そのものが持つ痛々しさに満ちていて
それがこの遣る瀬なさ/切なさと結びつきます。

ちなみにアンドリュー・ガーフィルド君は
「ソーシャル・ネットワーク」で主人公に裏切られた友人役の彼です。
素晴らしい俳優です。

ヘイルシャムの映像化については、
イメージしていた世界が見事に忠実に再現されていました。

「クリーンすぎる世界にこびり付いた狂気」が、
画面上のそこかしこから漂ってきて、
美しいけど喉の奥が息苦しくなるような異界の空気を作りだしていました。

序〜中盤のヘイルシャムのシーンは、超要約的に進むので、
「ノルウェイの森」同様、
小説が丹念に描いていた機微が100%映画化されていないという点に
不満を感じる原作好きも多いかもしれません。
しかしながら、原作で重要だったエピソードはちゃんと盛り込まれています。


で、ここから映画の感想からは若干逸脱するのですが、
この物語がもつ「切なさ/遣る瀬なさ」の源泉は一体何なのかという話です。

これは一概にまとめきれるものではないけど、
「思春期を通して成長した男女間で育まれる関係は特別なものであり、
同時にそこで生じた感情には大抵の場合行き場がない」
ということなのかなと思います。

誰しも思春期を過ぎて愛を語れるようになる頃には、
あの頃抱いたような尊い感情は彼方に過ぎ去っている、という事実があります。

補助線を引くと、小説「1Q84」の青豆と天吾の関係は、
本作のキャシーとトミーの関係に非常に似ています。
1Q84でもこの映画でも、2人が手をつなぐシーンが印象的に使われていましたが、
手を繋ぐという行為がこの「尊い感情」を表現する鍵です。

ノルウェイの森における直子とキズキの関係、というのもこれにあたります。
(ノルウェイの場合は、その2人の関係以外の部分での性描写の露骨さや、
ワタナベを中心に書かれていることから見えにくくなっているけど)

そしてこのような「尊い感情/関係」はこれまでの文学作品では行き場のないものとして、
切ない結末を迎えてきました。
直子もキズキもトミーもキャシーも、みんな幸せな結末ではなかった。

だからこそ、2010年に世に出た1Q84 BOOK3が肯定し、
奪還したものは大きかったのだと思います。
それこそが作家、村上春樹が肯定した「世界」ではないでしょうか。

この映画の結末がどこか物足りなく感じるのは、
「1Q84 BOOK3」以降を生きる我々にとって、
物語の結末があまりに予定調和的であり、そこを突破していないことが、
ことさら再確認できてしまうからに他なりません。

物語を煎じ詰めて解りやすくしていくと、
本来その小説が持ち得た「主題ではない大切なもの」が
どこかへ消えてしまう場合があります。

今作の映画化では、原作に忠実であるが故、
主題のみをストレートに表現した結果、
やや矮小化されたような印象を持ってしまいました。
ミニシアター系の「小品」としてうまくまとまっていたという感じでしょうか。

ただし、映画「ノルウェイの森」ほど賛否両論にはならないのではないかと思います。
特に「否」というほどの実験性はないので。
(原作者のカズオ・イシグロ氏自身も、製作総指揮に名を連ねているようです)

原作好きと、映画を観ることでダークな気持になりたいときには、オススメです。


NEVER LET ME GO Theatrical Trailer

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Comments [5]

No.1

はじめまして。
小沢健二と映画にひかれてやってきました。私も仙台ですがライブに行きましたよ。
私を離さないで、はアメリカ滞在中に読んでカセットテープのシーンで号泣した思い出があります。

映画も観たかったのですが間に合わなそうなのでDVDかな・・。

No.2

>ayaさん

はじめまして。
小沢健二、仙台のに行ったんですね。
震災後「ひふみよ」サイトにあがった文章を読んで、
あらためて彼の正直さと使命感(宿命感?)に心をうたれました。

私を離さないで、は僕もアメリカ滞在中に読みました。
DVD、、、買うほどじゃないと思いますけど、
レンタルでみるとあの小説の世界に入り込めて心地よいですよ。

No.3

更新されてたんですね。さっそく読みました。
本当ですね。そしてこんなときも彼の音楽が心を温めてくれます。

タイトルは池尻大橋からのポストだったのでしょうか・・?

No.4

>ayaさん

村上春樹の『1Q84』という小説で、
主人公の女性がある決意をして、人生の引き金に指をかける場所が池尻大橋なので、
それを意識して付けたのですが、分かりにくいタイトルだと自分でも思います。

ポストしたときは、なんかそんなテンションだったんです。

No.5

KAJKENさん
そうだったんですね。読んだんですが時間が経ってて気づけませんでした・・
私も池尻大橋によく出没するので親近感からつい聞いてしまいました笑

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