ゴールデンウィーク明けの金曜日、
連休中にたまった事務処理系の仕事や打ち合わせ数件を済ませてしまうと、
何かを本格的に始める気にはならない時間。
思い切って18時までに仕事を切り上げて、会社を抜け出し
上野、国立博物館までの道を行く。
会社から徒歩20分。
若干の小雨が降りしきる上野の森を抜けると、国立博物館の入り口に着く。
雨なのに、金曜日の夜なのに、切符売り場は、なかなかの人だかり。
きっと目当ては、阿修羅展に違いない。
今朝、「みうらじゅんがbirdと再婚」というニュースを見て、
仏像にはなんか複雑な気持の僕は、
その隣でやっていた、吉岡徳仁監修による
「Story of...」カルティエ クリエイション 展を見ることにする。
今回のエキシビジョンは、「Story of...」という表題からも分かる通り、
ひとつのジュエリーにまつわる物語、
あるいはカルティエというジュエラーが紡いで来た物語を
コレクションを通じて浮かび上がらせる、という見せ方をしている。
僕は正直吉岡さんの監修は、どんなもんかなぁと穿ちがちで入場したのが、
最新の映像技術をつかった演出や、最後の部屋のある仕掛けに、
あっと驚かされることになった。
全体としてハイブロウな点などもなく、とても分かりやすい。
これならジュエリーの世界を知らない人でも充分に理解できるに違いない。
ジュエリーというのは、世の中にあって、実に特殊な存在だ。
ファッションとの距離の取り方、財宝/資産としてのジュエリー、
権力や地位の象徴としてのジュエリー、そしてプロダクトとしての圧倒的な美しさ。
特に今回のエキシビジョンで飾られているものは、
あまりに高価であるが故に、一部の特権階級の人のものであることは事実である。
しかし、その本物ゆえの存在感、宝石そのものが内包するパワーは、
おそらくこれまでジュエリーというものに接してこなかった人々にも、
強烈に伝わるはずだ。
ジュエリーとアクセサリーの最大の違いは、
「所有する時間」の概念が在るか無いかだと僕は思っている。
シーズンによる流行り、廃りがあるアクセサリーと違って、
ジュエリーは、例えば婚約指輪ひとつとっても分かるように、
2年つけたらデザインを古く感じて、はいおしまい、という風になってはならない。
その宝石を20年、30年、あるいは100年先にも傍においておけるか、ということを、
きちんと突き詰める行程が、ジュエラーとお客さんの間では、
何度でも為されるべきなのだ。
で、カルティエのコレクションを見ると、
ひとつひとつのジュエリーが、
持ち主となるその人の為につくられたものだということが、
デザインからも、宝石からも、ひしひしと伝わって来る。
これには、感動しないわけにはいかない。
会場の8割は女性で埋め尽くされていて、世代を問わず、
熱心に見入る姿が印象的だった。
既製品が溢れる現代において、
こういったジュエリーを見ることができる機会はほとんどないからこそ、
例えジュエリーを手にしたことがない若者であっても、
何かを感じ取れるんじゃないかと思った。
そして、やはり人はジュエリーに惹かれ続けるのだなぁということを知って、
僕の(会社の)未来がちょっと明るくなったように感じた。
5月31日までやっているので、ぜひ、機会があれば見に行ってほしい。
何なら、上野の下町グルメツアーとセットで案内しますよ。
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