W杯初戦を端緒とした日本人のあり方についての考察

サッカー、負けちゃったね。

誰のせいで負けたとか、この敗因を分析して次につなげる必要がありますとかいう
メディアの批判体制にはもううんざりなので、
僕は、あんまり内容についてああだこうだ述べるのはやめとく。

がんばってない人はひとりもいないんだから、あとは選手と監督を信じようぜ。

つーわけで、
昨日の試合を見ながらなんとなく思ったこと。

昨日の試合を僕は後輩と近所のカフェで、
いわゆるパブリック・ビューインしていたんだけど、
そこで感じたのは、みんなすげー試合中にトイレ行くんだなーってこと。

サッカーって野球と違って、得点の流れが読みにくい。
もちろん大勢はつかめるのだが、こと得点シーンがいつ起こるか、
という点においては、神のみぞ知る、ということになる。
(実際は"神様"ジーコにも判んないわけだが…)

だから、
みんな諦めちゃってるのかどうなのか、
トイレに頻繁に行くわけである。

そりゃそうだ、ビールがんがん飲んでるんだから。

僕も試合中、前半40分ぐらいで一度トイレに行った。

正直、トイレにいるときにフロアの歓声が聞こえると、
「え?なに、ちょ、まっ、、」見たいな感じになって気が気じゃない。

慌てて出てきて(一応手は洗う)
ああ、よかった。
まだ得点シーンはなかったよね?
みたいなことになるわけです。


さて、ここで思ったこと。

やっぱり
?@僕たちは得点シーンを見るためにサッカーの試合を見ているのだろうか

ということ。

そんなこと言ったら、サッカーに詳しい友人は言うだろう。
試合の流れを見るのが面白いんだよ、と。

それも解る。

が、その楽しみをはるかに越えたところにあるよね。
ゴールシーンをリアルタイムで見るってことは。
ものすごい快感なわけよ、コレは。

ただし、ただ点が入れば良いってわけじゃない。

先ほどの友人に言われるまでもなく、
?A得点シーンには組み立てが大事。(唐突に点が入るとうまく喜べない)

昨日の試合の一点目なんかそうだよね。
あれ、これ、喜んでいいんだっけ。
ホントに?オフサイドじゃない?ファールは?だいじょぶ?
わー、やったー、みたいな。

どうにも100%喜びきれなかったのは、
そこに文脈や流れが見えにくかったからだ。

どんなに流れが読みにくい展開であったとしても、
かならず自然のドラマツルギーが作用するのが、
サッカーの面白みである以上、
得点シーンはやっぱりこの上なくドラマチックであってほしい。

きっちりと守りを固め、相手のスキをついて切り崩し、
華麗なパスワークで翻弄し、攻めの機運が高まり、
徐々にサポーターも盛り上がってきて、
そこにいる全員の高まりきった感情が、ついにゴールによって爆発する。
というのが理想的なわけです。


この?@と?Aはきちんと併走していかなきゃまずいわけで、
「試合の組み立て」とその結実としての「ゴールシーン」。
この2つはどちらが欠けても物足りないことになってしまうのだ。

そう考えると、アダルトDVDとかで、
男優が女優に「一緒にいこう」「一緒にいこう」ってさかんに言ってるシーンが見られるが、
なんでこいつはそんなに一緒にいきてーのかな、
バカじゃねーかな、なんて思ってたのもちょっと改める気になる。

丁寧な試合の組み立て(プロセス)とその成果としての共有体験(ゴール)。

つまり人間は、同期して高まった感情を、同時に臨界させる、という行為が
すごく気持ち良いということなのだ。


このように根源的な快感と似ているからこそ、
サッカーがここまで支持されているのかもしれない。

ていうか、むしろサッカー観戦がセックスの代用品になってんじゃねーか?
そういやJリーグの発足と出生率の減少は、ほぼ同時期なんじゃ…。

なんてなことを考えだすときりがないのだが、
結局のところ、この考察から、僕たちが学べるのは、たった一つのことだけだ。


つまり、サッカーもセックスも急にゴールしちゃだめってこと。

コメントする

※ コメントは認証されるまで公開されません。ご了承くださいませ。

公開されません

(いくつかのHTMLタグ(a, strong, ul, ol, liなど)が使えます)

このページの上部へ

プロフィール

The Great Escape by kajken

サイト内検索

最近のピクチャ

最近のコメント

Powered by Movable Type 5.14-ja