今さらなのは承知の上だけど、
3ヶ月遅れで聴いたゆらゆら帝国の『空洞です』のショックから
なかなか回復できないので、感じていることをちょっと書きます。
01おはようまだやろう
02できない
03あえて抵抗しない
04やさしい動物
05まだ生きている
06なんとなく夢を(Album Version)
07美しい(Album Version)
08学校へ行ってきます
09ひとりぼっちの人工衛星
10空洞です
このアルバムは、
前作『Sweet Spot』からの正統進化と言える。
つまりいわゆる「ゆらゆら帝国の王道」であった
ファズギター、ノイズ、サイケデリックといったキーワードからは
ずいぶん遠いところにある。
シンプルな歌モノが多いし、歌詞もずいぶん現世的である。
(妖怪やおばけの登場回数もずいぶん減った)
そして曲が丸くなっている分、
鋭く光を放つナイフ的な楽曲が潜んでいるというよりも、
むしろひとつひとつの楽曲が連綿として溶け合っていて、
曖昧な境界によって繋がっている。
例えばM-2「できない」とM-3「あえて抵抗しない」のギターのリフは、
ほぼ地続きだし、M-8「学校へ行ってきます」の中に、
M-7「美しい」のリフが、そのまま顔を出したりする。
そのあたりの曲間の音の繋がり方が、とてもよく練られている。
だから、個別の曲を聞こうとしていても、
いつのまにかこのアルバムがつくり出している、
ひとつの大きなうねりの中に飲み込まれて、
気づいたら最後の曲「空洞です」に至っていることになる。
それはまるで、どこをどう通ったかよくわからないうちに
右へ左へ身体が流されて、
ぱしゃっと出口から飛び出す、ウォータースライダーのようだ。
そして不思議なことに、流れに身を委ねていると、
初めは何も感じないのだが、
何度も試すうちに、
いつの間にか「悲しみ」のようなものが
身体に付着していることに気がつく。
このアルバムで歌われているのは、取り返しのつかない別れであり、
ただ一本の不可逆な進行方向であり、文字通り「空洞」になった自分の心。
とりわけ重要な変節点となっているのが、
M-9「ひとりぼっちの人工衛星」という曲だ。
ここでは、人工衛星という装置を用いて孤独観が呈示される。
無線が切れた
さよならをした
君の上で 今日まで 見て いた
ついほんの少し前まで、
君と当たり前のように見ていた風景に別れを告げた。
それは、激しい口論の末の勢いづいた決別ではなく、
もっと静かなで穏やかなもの。
役目を終えた
さよならをした
軌道をそれ さあ行こう 果て まで
さよなら 緑
さよなら 引力
さよなら 海 野 谷 山 丘
好きな 人
好きな 場所
好きな 星
ひとりぼっちの人工衛星/ゆらゆら帝国
それまでは一定の距離を保ちながら、
寄り添うように回っていた場所から、
ゆっくり軌道をそれて離れていく。
もうこれ以上、君を回ることはない。
自分の役目は終わった。
一緒に見た風景は、まだそこに見えるのに、
だがしかしすこしづつ確実に遠ざかっていくのだ。
ひとつ前の曲M-8「学校へ行ってきます」の最後、
3分56秒あたりでふいに鳴る「ツーツーツー」っていう音が、
最後の無線のプロトコルに聞こえる。
続く「ひとりぼっちの人工衛星」中にも、
同じ「ツーツーツー」が鳴り続ける(3分27秒以降)のだが、
それはさっき鳴った音ではない。
もはや自分のアタマの中にリフレインしている音だ。
最後の無線は、もう切れてしまっている。
その信号音は、記憶の中で繰り返すことしかできない。
そして、最後の曲M-10「空洞です」へと向かう。
空洞化してしまった自分を歌うこの曲の中で、
ゆらゆら帝国には珍しいサックスの音が鳴り響くのだが、
このサックスはそのまま再びこのアルバムの一曲目、
「おはようまたやろう」へと帰結する。
つまりこの不思議なアルバムは、
悲しみや孤独を増幅させながら、
ゆっくりと永久に回り続けるのである。
別れのことを、それが辛いと知りつつも、
つい何度も思い出してしまうように、
このアルバムも、つい何度も繰り返し聴いてしまうのだ。
まったく、この人たちは、
なんてアルバムをつくってしまったんだろう。
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