誰かの人生

今日、昼に街を歩いていて、気づいたら秋だった。

9月24日ってったら、まあ、
彼岸も過ぎて立派な秋なんだけど、
こっちは9月のあいだ中ずっと、
カリフォルニアの残光を探しているうちに、
いつのまにか季節まで見失ったみたいだった。

で、当たり前のことなんだけど、
秋の始まりってことは、
つまり夏が終わったということです。

僕は、昨晩たまたま2007年の夏のはじめに買った、
曽我部恵一の『Blue』というアルバムを聞きながら、
部屋でごろごろ本を読んでいたんだけど、
アルバムの中の『夢を見ていた午後』という曲が
異常なまでに沁みて、
あれ、なんだっけこれ?と軽く狼狽しちゃったんだけど、
つまりあれだ。

夏の終わりに相応しい曲を、
まさしくその瞬間に聞いてしまったってことだ。



香港に発つ前に、出張用にと買った本の中に、
小西康陽『僕は散歩と雑学が好きだった』がある。

この本の中で小西さんが、
ムッシュかまやつの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』という曲を紹介している。

君はたとえそれがすごく小さな事でも 何かにこったり狂ったりした事があるかい

たとえばそれがミック・ジャガーでもアンティックの時計でも
どこかの安いバーボンウイスキーでも

そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間としてしあわせな道を
歩いているだろう



歌手としてのムッシュはけっして魅力的な声の持ち主ではないが、
少なくともこの曲での彼の歌は感動的だ。
メロディーの終わりで声の震えるところでは
涙がこぼれそうになる。
小西康陽

この文章とこの曲の素敵さは、
本書を読めば解るのでさておき、
僕がゴロワーズのタバコを吸ったのは、
18歳の3月、生まれて初めてのパリだった。

あの頃の僕には、
ゴロワーズのタバコを教えてくれるような友人がいたのだ。


その友人を懐かしく思いながら、
僕は丸ノ内のインディアンカレーを、
卵入り、ルー大盛りで食べた。

注文の際にふと、
卵入りで、というのを「in 卵で(インランで)」
と言ったら面白いんじゃないかって気がした。


ラーメン屋、牛丼屋などでも使えるし、
汎用性は高いと思うが、
よく考えたらあんまりおかしくないので、
このフレーズが、特に流行ることはないでしょう。

Track Back

Track Back URL

コメントする

※ コメントは認証されるまで公開されません。ご了承くださいませ。

公開されません

(いくつかのHTMLタグ(a, strong, ul, ol, liなど)が使えます)

このページの上部へ

プロフィール

The Great Escape by kajken

サイト内検索

最近のピクチャ

  • kindle.JPG
  • guildcoffee.JPG

最近のコメント

Powered by Movable Type 5.14-ja